今回のモダンタイムスのいろはかるたの読み札で私が選んだ言葉「置かれた場所で咲かせましょう」。これを選んだのは、私なりに究極の思いがありました。人生の中で、自分自身の考えだけで大きく舵を切ったことがあるのは、後にも先にも一度きりです。それ以外は、大きなアクションがあったとしても、個人的な願望では動いてきませんでした。結婚をしてからは、専業主婦だった時代は約一年。それ以降は、夫の仕事を手伝いながら好きな仕事にも携わっていた時期。そして、ある時期を境に手伝うという意識では、駄目だという認識になり、代表者である夫が見ているものは何なのかを追いかけるようになりました。そんな私が大変そうに見えるのか、夫ですら「もっと別の人生があったんじゃないか」と、言ってくることもありました。しかし、今思えば、その時その時に順応していっただけなのです。「私は専業主婦をしたくありません」。「手伝いたくありません」。「社長の仕事を知りたくはありません」。という答えもあったのかもしれませんが、家族を守るという一本の軸に答えは何通りもあり、縁の下に回って支える者がいなければそちらへ、表に出て戦う者の応援が必要であればそちらへ…得意でなくても、その気さえあればどうにか形になるものです。
これまで、私は自分とは違う何通りもの人生を、羨ましいと思わなかったわけではありません。でも、答えは他人の人生を生きることはできないのです。私にとって「置かれた場所で咲く」というのは、観る視点を変えれば、立ち位置すら変えなくても何でもできるということなのです。順応していくうちに、そのことを理解し、「この考え方便利だなぁ」とすら思うようになりました。
しかし、変化も多かったせいか、変化にも順応しやすくなっている自分、そして自分の周りも変化に順応する能力が高く、この度のコロナによる環境の変化にもスムーズに順応してくれたと思います。いつものこと!と、言わんばかりに顔色一つ変えず、というよりは、少し楽しそうでもありました。そうして通常業務をストップすることなく、事務所の引っ越しをしたのは約1年前のことです。引っ越しからの1年も、やはり大きな波がありながらの今日。彼らも置かれた場所で咲くタイプなのでしょう。
そして、生きていれば人と出会い、別れ、喧嘩もします。家族であってもそうです。逃げ出したくなるのは、いつも人間関係なのです。特に嫌なことを言う人は、何かを教えてくれているといいますが、本当に実感します。人は自分を教えてくれます。表紙裏の記事にも書いている「光を観る」の意味には、物理的な場所だけでなく、人間関係という場もあるのではないでしょうか。人の光もしかり、人の魅力や個性に触れて、多くの視点が持てるようになれたら…と、思います。人と自分、トータルで自分なのでしょうね。2022年の抱負らしい抱負は、まだ決めかねていますが、個人的には「新しい自分を発見すること」としておきます。今年も宜しくお願い致します。

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