いつの間にか冬になっていた。秋を感じるわけでもなく、夜長を楽しむこともなく、体を動かすこともなく、気がつけばやたら寒い。年齢とともに、一段と寒さがこたえる。地球温暖化で、やがては冬も無くなってしまうのかもしれないが、温暖化の後には氷河期が来るとまで言われている。氷河期など、考えただけで震えてくる。そもそも、小さい頃から冬は苦手だ。幼少期を過ごした場所は、冬ともなれば、やたら雪が降り積り、地面は凍りついて歩きにくく、楽しい思い出など皆無に等しい。数少ない楽しかった思い出をたどれば、かまくらを作って食事をしたことくらいだろう。スキーをすれば、なぜか後ろ向きに滑ってしまうし、スキー板だけが滑っていったり、止まることができずに崖から転落しそうになったりと、ろくな思い出がない。どうやら私は、バランスを取る競技が苦手のようだ。なのでウインタースポーツは全て苦手だ。当然だが、サーフィンもチャレンジすらしていないし、バランスボールも秒で撃沈。片足立ちですら秒でふらつく。肉体的にどこか欠陥があるのかと疑いたくなるほどだ。では心や思考回路はどうかと考えてみると。これまたバランスが取れていない。いまだに自分のことがよくわかっていない。(あれ?確かこれは好きだったはずなのに)とか(何でこんなもの買ったんやろ?)とかが、いつものように起こる。ただ、この性格がいいように働くこともある。どんなに腹が立っていても(あれ?腹立ってたはずやのに)といつの間にか変化している。人の思考は、その人にとって都合の良い結果を導き出そうとするはず。ならば、私にとってその答えが都合がいいのだろう。ただし、誰かに何かをされた場合、された事柄は薄れていくが、人間に対する接し方や思いは消えることがない。その時と同じ嫌悪感ではないが、信用というものは皆無に等しい。なので、話すことはできても心はまるで入っていかない。そういう性格が、災いなのか幸いなのかはわからないが、そうやって心のバランスをとろうとしていることだけは理解している。今では、死ぬまで自分のことがわかることはないだろうと確信している。最近では、そういうバランスのとれない自分が面白く感じるようになってきた。もしかすると自分が面白いと思っていることは、人にとっては全く興味すらないことなのかもしれない。そう思うと、やたらそのことが面白くてならない。やっぱりバランスが取れていないようだ。右脳派と左脳派に分かれるように、発想もそれぞれに個性があって当然。そのバランスが取れていない方がいいように思える。どちらの立場も理解することは大事だが、それでは個性が生まれてこない。どちらかに偏っているからこそ個性が生まれてくるはず。その考え方も取り入れようかなというくらいが丁度いい。こだわりすぎても頑固でしかなく、こだわらなければ優柔不断になってしまう。私にとって自分らしくあるということは、バランスがとれていない頑固で優柔不断な性格が理想なのだろう。最近では、食事ですらバランスを考えてとらなければならない。糖尿病だから仕方ないのだが、どうも「バランス」という言葉が頭の上をブンブン飛び回っているような気がしてならない。冬になるとこの言葉が否応なしに襲いかかってくる。だから冬が苦手なのかもしれない。なので、横に歩いてもバランスを保つ能力を得るためカニを食べ、腹が立っても頬を膨らますくらいで治るようにフグを食べ、石橋を叩かずに渡るためにも猪突猛進の猪肉を食べ、その能力を身につけようと思っている。
