そこに「愛」があった
『星の王子さま』の話の中に「責任」について書かれている場面があります。
「面倒を見た相手にはいつまでも責任がある」。ここだけを切り取って聞くと、重圧を感じるものかもしれません。言葉や活字には、当てはめられる意味があります。「責任」という言葉には「義務」や「任務」などの意味があり、何かを課せられているというようなイメージを持ってしまうのではないでしょうか。しかし、『星の王子さま』の物語の中で、王子さまがキツネに言われて気づかされる「責任」の意味は、そういうものではありませんでした。自らの自由意志により、得た「愛」とセットとなるプレゼントのようなもの…と言わんばかりに、王子さまが気づきを得たときの感情は満たされているように思えます。それは、バラを、わずらわしく思って逃げ出した先にあった空虚感から抜け出した瞬間かもしれません。
「責任」とは自らの自由意志のもとに得たプレゼントだということを思い返してみましょう。そのことを学ぶために「自己責任」という言葉を取り上げてみます。そもそも「自ら」の自由意志で得ているものに、なぜ「自己」という言葉を組み合わせたのでしょうか。私はこの「自己責任」という言葉には、冷たさを感じるのです。「責任」という言葉とは意味が遠くかけ離れています。言葉とは、使う場面やかける相手によって間違いを起こすものであるということをこの「自己責任」という言葉で学べます。「あなたには関係ありません」「わたしには関係のないことです」というような意味を果たす言葉。本来、関わる全てのものに責任は発生しています。そこにあえて線引きをするための言葉となります。「言葉」を単なる便利ツールとして使用するのであれば、二者択一で選択していけば良いのですが、「言葉」には良い意味でも悪い意味でも隠された意味が含まれています。ましてや「言葉」でもっても伝えきれない思いもあるのです。それをどれだけ読み取れるかは、積み重ねた時間なのかもしれません。「面倒を見た相手にはいつまでも責任がある」。この言葉の中にも、積み重ねた時間が見え隠れします。この場合の「責任」とは、強い「絆」を表現しているようにも思えます。このように「自己責任」と「責任」には大きな隔たりがあることがわかります。
また、言葉はかける相手、関係性、使うシーン、背景により意味が大きく違ってくるものなので、もしも「言葉」に傷ついてしまっている人がいるならば、一度このようなことを客観的に捉えて考えてみると、真逆の思いが見えてくるかもしれません。王子さまがバラと離れる前に意地をはっていたバラの本当の思いに気づいたように。
