「天国と地獄と長い箸」の話を思い出す体験
昨年、大掛かりな片付けをして、たくさん物を手放したのですが、完璧というわけではなく、断捨離の道は常に続くのだと感じています。最近、ようやく決心をして大好きな文房具類を手放しました。文房具が好きで、どんどん増えてしまうのですが、肝心な時に手元にボールペンがない…ということは、しばしばあったのです。それでも(ノート類、ペン類を捨てるなんて私には出来ない)と、悩んでいたのですが、会社のスタッフにもらってもらうことにしました。いらないからあげるのではなく、大切だから誰かに使ってもらいたい…。そう思い、身近な人に安心して手放すことができました。 ある日のこと、職場の自分の席ではなく、スタッフの席の付近で作業をしている時に、急に鉛筆が必要になったのです。自分の席に戻る時間も惜しく「誰か鉛筆持ってないですかー」と声をかけると「ありますよー」と、すぐ手渡してくれた編集スタッフ。「これもともと編集長のだけど」と、笑いながらモレスキンの鉛筆を貸してくれたのです。その時、私は、この鉛筆、あのまま私の物だったらこうして必要な時に出てきていないと悟ったのです。大げさかもしれませんが、結果、私も助けてもらいました。 そんなことがあって以降、思い出したのが仏教の法話「三尺三寸箸」の話。およそ1mのお箸を使って食事をする天国と地獄のお話ですが、地獄では、その長い箸で目の前のご馳走を掴むことに苦戦して食べることができないのですが、天国ではその長い箸で向かいにいる人の口に食べ物をお箸で運んで楽しそうにみんなで食事をしています。この話にはいろんな解釈があると思いますが、今回の私の体験から学んだことは、やはり人が自分を助けてくれていて、自分も人の助けになるということの重要性です。人は必ず、他者の力を借りて生きていて、他者から幸せももらっていることを知らずに生きていることが、貧しさなのかもしれません。そして、道具は使われてこそ意味がある(生きる)ということが身にしみて分かりました。