「なんとかなる」まで粘る
「人間は希望がないと生きられない」という言葉があります。その「希望」が意味するものは何か…「将来に希望がもてない」などの「希望」という言葉のニュアンスは、とても輝かしいものに思えます。きらきらとした将来像…というようなイメージ。私にとっての「希望」を別の言葉に置き換えると「なんとかなる」という意味です。なんとかなる根拠を感じられること。根拠がなくても「なんとかする」と、思える強い心でもいい。きらきらしているものではなく、生きる為に最低限必要不可欠な部分に「希望」があります。だから「人間は希望がないと生きられない」という言葉についても、生きられないほど、どうにもならない気持ちになってしまうのは、わかるような気がします。考え方や気持ちの持ち方だけでは、どうにもならない局面にたっている時に、もしかしたらなんとか出来るかもしれない!と思えた時に、人は思った以上の力を発揮できることがあるのです。ギリギリの状態になって初めて「希望」とは何なのかを考え、その「希望」に感謝の気持ちでいっぱいになる…。一歩先の道が見えてきた時に、ようやく自力で前に進めるのではないでしょうか。遠い将来ではなく今、希望を見出し、一歩を踏み出すきっかけとは何か…。そんな時に、人にかけてもらった情けから「希望」を見出すこともあるはず。そのように希望を与えてもらったことを忘れずに、私も誰かに「希望」を与えられる人になりたいと思うのです。でも、まずは別ページ、編集の特集「思考のお片づけ」をしっかりできるようになってからかな? 自分の身の回りのことをしっかり管理し、心にゆとりをもてるようになることは常々課題です。ずいぶん前から断捨離をし続けて、少しずつわかり始めたことがあります。物と一緒に埋もれてしまっていた自分。自分の許容量を超えてしまっていても、そのまま突き進むしかできなかった時期があり、家の中は片付かず、いつも急き立てられている状態でした。でも、人の力を借りることで家が少しずつ片付き、自分を責める気持ちが減り、前向きになってこれたのだと思います。これはほんの一例です。諦めるしかない状態で、自分を責めながら日々こなす仕事は辛いものです。でも本当は、何でも楽しみながらできるはず。希望を持てるようになる前には、必ず人が関わってくれているものですね。そして、思考のお片づけをしながら、まだ出来ることがあることを発見し、なんとかなるまで粘っているのかもしれません。アイデアや発想の転換でまだまだ発見はありそうです。