「言士」としてはいるものの、実際には言葉はとても複雑で厄介なモノでもある。時として狂気に変わり、時として特効薬の役割もする。誰かに伝える手段ではあるが、それでいてグッと飲み込むたびに大人の階段を上がっていく。自分が発した言葉には責任がつきまとい、人格さえも決定づけていく。やみくもに人の悪口ばかり言っていると、やがては当事者の耳に入り、自分の敵を増やすこととなる。かといって誉め殺しをしたところで、優柔不断な八方美人と取られかねない。今まで随分と色んな人の言葉を聞いてきた。私の場合、不快な言葉の一つが「そんなつもりじゃない」というモノだ。「じゃあどんなつもり?」と聞きたくなる。この言葉ほど後付けの詐欺的要素が含まれる言葉はない。ある人にはマルといい、ある人にはバツといい、本人にはそんなつもりじゃないという。口論にもならないほど馬鹿馬鹿しい言葉だ。何よりも自分の発する言葉に責任を持ってない証拠だともいえる。この言葉を発する人は大抵が大人になりきれていない場合が多い。もちろん例外もあるが、よほどの誤解が生じてのことか、第三者を介してのことだろう。この不快な言葉を何度聞いてきたことだろう。学生時代、隣の席の女の子が手紙を回してきた。そこには「誰か付き合ってる人いてる?」と書いてあった。これは誰もが有頂天になる場面だ。当然私も有頂天になっていた。「おらへんよ。なんなら付き合ってみる?」と書いて渡すと「ごめん、そんなつもりじゃなかった」とのこと。じゃあ、どんなつもりやねん!と無性に腹が立ったことを今でも覚えている。しかし、その言葉をグッと飲み込み、私は大人に近づいたのだろう。さらに、遠距離恋愛とやらをしていた時のこと、彼女に「寂しいからこっちに帰ってきて」と言われ、悩んだ末に仕事を辞めて帰ることにした。帰ってみると彼女のアパートには男性がいた。「そんなつもりじゃなかった」と言われても気持ちは元には戻らない。「もうええわ、ほなね~」と立ち去ろうとした時「待って、これ!」と手渡された物はピーナッツ入りの義理チョコだった。(おのれ~!)と心で叫びながら一口で食ってやった。それ以来、彼女とは会っていない。おわかりいただけただろうか。「そんなつもりじゃない」この言葉に含まれる毒は恐ろしいほどの効果を発揮する。ドラマや映画でもこのセリフはよく出てくるが、大抵は嘘つきな人の言い訳として使われていることが多いように感じる。そうは言っても、言葉によって励まされることも数多くある。名言にはそんな言葉が多い。私の大事にしている言葉に「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という名言がある。できることを探すより、笑えることを探す方が楽しめるということを知った。自分の楽しみばかり考えるのではなく、誰かを笑わせてあげることを考えることこそ「言葉」の本質だと私は思っている。

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